ハケタヨブログ親ひとり子ふたり

アンビリーバブルな愛情

ゴミの花びら

 

 

 

昨日したこのツイートに対して自分の気持ちを整理したいなと思ったので

ここに書いておこうと思います。

 

あわせてこっちのツイートも

 

 

 

 

小さい頃を思い出すと私ってすごく幸せな家庭に生まれ育っていたと思う。

特にパパやお兄ちゃんからベッタベタに甘やかされて愛されてた。

 

でも、パパはお兄ちゃんにだけ厳しかった。いくら小さくても男だからって。

それが母は耐えられなくて、きっと他にも色々あったと思うけど結局不倫して男を作って離婚することになった。

 

それが7歳の時。

 

「離婚するの」と言われた時、ちゃんと意味はわかっていなかったはずなのにわんわん泣いたのを覚えている。

 

よくある話かもしれないけど、田舎に住んでいたから

苗字が変わったってだけですごく噂になる。

 

自然と私は孤立していったし、たまに近づいてくれる友達がいたけれど

味方のフリして家庭の事情を聞きたいだけだったとか、なんかそんな感じでうんざりして結局一人でいることが多かった。

 

お兄ちゃんと私は母に連れられて近所の市営住宅に引っ越した。

 

パパがいなくなって寂しかった。母に「どうしてパパと一緒にいれないの」と聞いた時に「あんただって離婚しないでって止めなかったでしょ」と言われて、当時の私は自分のせいなんだとひどく落ち込んだ。

 

引っ越してから、一人の男の人がよく家に来るようになった。

そして1年後くらいにその男と再婚した。

 

再婚して妹が二人できて、家の中に知らない家庭ができたように感じた。

車に乗って出かけるとき、後頭部席はチャイルドシートで埋まり私とお兄ちゃんはトランクに乗っていた。

 

妹は可愛かったし大好きだったからトランクに乗ることも妹のためだと思うと嬉しかったし自分で納得していたけれど

 

そんな風に私とお兄ちゃんの居場所が少しずつなくなっていったり生活が変わっていった。

 

そして先に思春期を迎えたお兄ちゃんのストレスの捌け口は私になった。

意味もわからないまま、殴られたり蹴られたり、首を絞められていた。

 

 

私もそれくらいからおかしくなってしまった。

首を絞められた後、泣いて苦しくなって過呼吸になるのがくせになってしまった。

夜はパパに会いたくて毎日泣いていた。

 

そんな私を母もお父さんも気味悪がった。

 

部屋が取り上げられて、トイレと洗面台の間で小さく毛布に包まって寝たりした。

 

 

 

ぞんざいに扱われることには勝手に順応していったんだろうなと今になって思う。

 当時はまだ未成年で毎日家に帰らないといけなかったし(17で家出したけど。笑)

 

 

 

だから、私は自分が犠牲になることで誰かが笑っていれるならそれでいいやと思ってしまう。私はいいからって。

自分になんの期待もせず、起きてしまった悲しいことも平気な顔して受け入れる。本当はすごく悲しかったり辛かったりするのに。自分で自分を傷つけることに慣れてしまっていた。

(4年で終わった結婚生活でも、そんな風に思うことが多かったなぁ…しみじみ…)

 

 

そんな時に言われたのが「周りの人や子供のことはよく考えて大事にしているのに、どうして自分のことは大事にしないの?今までぞんざいに扱われてきたからって自分で自分のことまでぞんざいに扱わなくていいんだよ。周りの人や子供も、あなたが自分を大事にしている姿を見る方がずっと幸せだよ」

 

その言葉の意味や優しさを感じた時に私はすごく泣いてしまった。

 

すっと心が軽くなって、今までずっと抱えていた不安や心配なことにも前向きに考えられるようになった。

 

 

自分のために行動すると全部自分に返ってくる。

嬉しくてまた自分のために行動できるようになる。

 

自分を大事にしていると周りの人も私を大事にしてくれるようになった。気がする。笑

 

というか、同情されることがなくなったんだと思う。同情されるとこっちも申し訳なくなって、いらない好意も受け取ってしまっていたりしたから。

 

そういうマイナスな部分がなくなってずっと生きやすくなった。

 

 

昔は誰かに大事にされないと自分も大事にできない。って考えてしまっていたけれど、本当は逆だったんだなぁ。

 

気付けてほんとによかった。

 

 

 

みんなも自分のこと大切にしようね。穴が空いた靴下をずっと履いてちゃだめだよ。

 

それではお後がよろしいようで。。

 

おわり