シンママ記録|修羅場2
こんばんは〜ハケタヨです。
前回の続きです。
頭を下げた後はAさんの自宅で待機することになった。 いつもはみんなでわいわい過ごしているところなのに、 なんという空気の重さ。このときのママさんの顔、 鮮明に思い出せる・・・(やばい泣きそうw)
旦那がみんなに可愛がってもらっていたから、 わたしもよくしてもらえていた。 こんなにみんなを心配させて迷惑かけてサイアクだなって思ってた。
それにお子たちのことを大事に思ってたらこんなことにならなかったよね ?って悲しくなった。
夜になって旦那を探しに行ってたAさんが帰ってきた。
「お前の旦那連れてきた。話あるらしいから行ってやって。」
旦那が待ってるという車に乗り込むと、 そこで待ってた旦那の顔面は血だらけ。 顔の中でも一番好きだった高くてきれいなわし鼻もぐにゃっと曲が ってた。Aさんが殴ったんだって。 怒ったら怖いこと誰よりも知ってたはずなのにね。
私はこのときのことだけは全然覚えてない。ただ、 旦那の涙をみたのはこれが最初で最後だったと思う。
このあとのことも全然覚えてない。どうやって帰ったんだっけ。 その夜、どんな気持ちで眠りについたんだっけ。わかんない。 悲しかったのかどうかもわかんない。ほんとになんにも覚えてないや。
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あれ〜修羅場について書きたかったのに修羅場感がゼロだ! 終始冷静!でもこんな事態に巻き込まれることなんてそうそうないよね。 旦那が逃亡して、戻ってきたら血だらけだったしね。
まあとにかくサイテーだった。そんな出来事でした!おわり!
シンママ記録|修羅場
こんばんは〜ハケタヨです。今回のテーマは修羅場です。
まだお子たちが2歳と1歳だったころ。 住んでいた地域が田舎すぎてやることがなく、 毎日スーパーに通いつめていたころ。 離婚を本格的に考え始めていて疲れ切っていたころのお話・・
この2人はよく関わりのある人たちだった。だけど、 わたしたちを家族のように可愛がってくれていたとはいえ、 旦那の仕事のお客さん。(Aさんということにしとこうかな)
用があるならいつも旦那の職場へ行くはずだし、 家にくるとしても事前にわたしに連絡があるか、 奥さんのほうが訪問してくるはず。
「え、どうしたんですか」といって鍵をあけると、 せわしなく家に入っていった。
やっと私も追いつくと事情を話してくれた。「旦那が逃亡してる」 (そんなセリフ・・ 一生聞かされない人の方が多いだろうに本当に私はツイてるな・・・)Aさんたちは旦那を探しにきたのか。
わたしは旦那が逃亡している件について全く関与していなかったけ れど、もしかしたら裏で繋がっているかもしれないからと「 うちで待機してろ」と連れていかれるわけです。
車に乗せられて、 息苦しい車内の中で詳しい事情を聞いて、 とりあえず状況を把握した。Aさんは怒っていたけれど、 私が妻としてどう振る舞えばいいか教えてくれて、 とりあえず旦那が迷惑かけた人の元へ行くことに。というか、 この事件(事件いうてるし) をうまくおさめるために仕切ってくれてたんだよね。
旦那が迷惑かけた人の元へ行き、頭を下げた。だけど自分も事態をちゃんと飲み込めていなくて、あまりにもワケがわからなすぎて、頭を下げながら( 旦那のした事で私があたま下げるとか、 夫婦っぽいことしてるなあ)とか思ったっけ。
つづく。(たぶん)
食欲がない毎日
どんなに辛いことがあっても食欲がなくなることがなくて
わたしは絶対に痩せ細ることなんてないな〜なんて思っていたのに
最近まったくといっていいほど食欲がない。
まだショッキングな出来事があったあとだったらよかった。
あんなに辛いことがあった後だから仕方ないと思えたはず。
なんで最近のわたしは食欲がないんだろう。
シングルマザーとして一家の主人であるわたし。
頼れる実家なんてない。両親と不仲というわけではないのだけど
過保護に育てられたわけでもなく、むしろ17歳の時に勘当されているので
今の適度な距離感を保つことが精一杯だし、これが最適な選択だと思っている。
迷惑をかけていないことが親への信頼度に繋がっているし、それがいざとなったときの担保になると信じている。
3年前に副腎疲労で動けなくなった時があった。
思い出しただけで最低な生活をしていたと思う。
生活に必要な最低限の行動と保育園への送り迎え以外はまったくといっていいほど動けなかったし
休日にどこか出かけて遊んだ記憶なんてひとつもない。
わたしはあの頃のようになることだけは避けたいと思っている。
そのために毎日体調管理に気を使い、ここまで復活した。
(それでも毎日ギリギリの状態だけど)
なのにまた毎日疲れ切っていて眠っても眠っても眠い。おまけに食欲もない。
ね〜なんでかな?とりあえず以前治療していたときのように、
栄養に気をつけ、疲労回復のために必要なことをしていこうと思う。
とかいって、ただの加齢が原因だったりしてねー笑
1月が終わった
こんばんは~ハケタヨです。
今年はブログを書くぞといいつつ、また何も書けない日々を過ごしておりました。
とりあえずリハビリとして1月の振り返りをしてみようと思います。
1月。
2019年がスタートしました。
年明けは清々しい気持ちでスタートしたいところだけど、
活動的な気分になれる春が来るまでの1月、2月、3月はじっと我慢する期間にしています。
ということで、毎日最低限できることをする毎日を過ごす。
今年はお子たちも含めてしっかりと体調管理もできているなと思っていた矢先、
次男がインフルエンザ発症。
そして3日後には私も40度の発熱。
毎回思うけれどシンママで1番しんどいなと思うのは自分が風邪をひいたとき。
とはいえ、何度かこういう事態を経験していると
「自分がだめになったとき」の対処法も理解していて
今回はそれほどピンチは感じなかった。
保育園からお迎えの連絡があった瞬間に「買い出しはお迎えの前にしておかないといくタイミングがなくなるな。お迎えまでの猶予は1時間だから、さっとスーパーに寄ろう」「土日は家から出られないだろうな。私や長男にもうつったときのために、誰かしらが暇つぶしできるボードゲームや迷路や点つなぎのノートをアマゾンでポチッとこう」とかね。
なんだか複雑だけどシンママとしての圧倒的成長を感じました。。。
それから今年の自分の誕生日は人生の節目のひとつであるなと思っていたのに、
熱にうなされているうちに過ぎてしまって、きちんと自覚がないままXX歳がスタートしてしまいました。
毎年通う占いによると「今年は整う年」になるらしい。
そこの占いは旧暦である2月が1年のスタート。
もうすでに数日過ぎてしまっているけれど、前を向いて今年一年動いていこうと思います。
おわり
(がちな日記だったね)